Osoba、おもんぱかる。

孤独とコミュ症。認めたろ。そして何とかしてみたろ。

瞑想1か月後の、Osoba。

なんか気持ちが落ち着かない。

長い時間を生きてきて

無駄に職場を変えてきたので

とても沢山の人に出会いました。

沢山人を見てきたので

態度やしぐさで、この人が今

私に対してどういう気持ちなのか

手に取るように“わかってしまって”

落ち込む事がよくありました。

 

年をとるにしたがって、

雪だるま式に“わかってしまうこと”が増えてカチカチに固まって離れない。

その事について考えないでいる時間が作れなくなっていました。

職場から駅までの間も、電車に乗ってる間も、スーパーで買い物してても

家に帰ってきても、お風呂の中でも、ごはん食べてても、歯を磨いてても

眠りに落ちるまで、

ずーっといやなあの人やあの人やあの人、

そういえばスーパーの店員さんまで今日はひどかった。

全部あたしからでるネガティブなオーラが引き寄せてるのかも。

 イヤーッ!

 

因みにどんなに悩んでいても寝つきだけはよくてよかった。

あと、桂枝雀桂米朝立川志の輔の落語に助けられた。

なんか、面白いのに、沢山泣いた。

ありがとう。本当にありがとう。

 

話は逸れたようで逸れていません。

 

落語はひと時、私の頭の中から嫌な人たちを

棚に上げてくれました。

 

でも、落語が終わっちゃうと思い出しちゃう。

もっとずっと棚にいてくれればよいのに。

 

という、私の希望を叶えるための練習が瞑想でした。

マインドフルネスとも言いますね。

瞑想というのは、

例えば自分の呼吸だけに集中します。

そうしていると、

考えたくないのに気付いたら考えてる。

それを、「今瞑想中だから、終わるまで棚に上がってて。あとで考えるから。」

と思って、呼吸に集中し直す。

でもそのうちまた呼吸への集中からそれて、ブワッとぶり返すみたいに思い出したり、

別のことでも、呼吸以外の事が頭に浮かんでくる。

その事柄を「今瞑想中だから、後で考えるから今は棚上げ」

とこんな感じで次々に浮かんでくる、『事』

脳が「これ、大事じゃないですか?今考えたほうがいいんじゃないですか?」

と言ってくる『事』たちを、次々棚上げして整理する。

脳が勝手に考えて提案してくる『事』を、あとでね!と整理する。

(消し去ろうとすると、かえってとらわれるので、

 今は待っててあとで考えるから。と棚上げ感を大切に。)

自己コントロールの練習らしいです。

 

なるほど。

ちょっと宗教っぽいと思っていたけれど、

そうじゃないんだ。

と、言うことが分かった本

始めよう。瞑想という本を読んで始めた瞑想。

 

やっと1ヶ月だけど少しずつ、

自動的にふつふつふつふつ湧いてきてまとわりついて離れない

嫌な気持ちや考えから

今は離れることが少しできてる気がする。

気がする。