Osoba、おもんぱかる。

孤独とコミュ症。認めたろ。そして何とかしてみたろ。

自分にこだわりを無くしていいのか考えてしまう。

昨日はスッキリと答えが出た気がしていたけど

見ようによっては、

自分を捨てれば楽になれる

と言ってるようにも見える。

 

あんなふうに

人を傷つけてもなんとも思わないような人になりたくない私は、

あんなふうにならないように頑張っている。

それはある種のこだわりだよな。

私には、私みたいな人が必要だと思う。

だけど

私みたいな人がそばに見当たらないので

そのこだわりを捨てて、

あんなふうになってしまえば楽になれる。

ということ?

やだー。

 

あ、違うわ。

人にどう思われるかが発信源じゃないからいいのか。

自分の素がそう言ってるならそれが自分か。

いいんだいいんだ。

 

 

自分にこだわりをなくせば、自分になれるだろう。

態度を変えることによって

周りにオソバさんはだめな人だから

私はこのような態度をとっている。

これが、オソバさんに対する正当な評価である。

と、皆に知らしめたいのでしょう。か。ね。たぶん。

傷つくわー。傷ついたわ私。ということに気付いている。

悲しい。とても悲しい。と、思っていることに気付いている。

明日も明後日も、

大っ嫌いなオソバさんを広報してくれるのかしら。

迷惑だわー。

これで、どうしよう、ドキドキする。

と思うのは、周りの目を気にしているから。

周りの人たちに、「あ、あの人〇〇さんに無茶苦茶嫌われてるね。」

という共通の認識が散布されて植え付けられ、

その影響が私に直接降りかかるのが怖い。

具体的には、

(ここの人たちは誰か嫌いな人ができると結託する習性があるので)

まぁ、普通に仲間外れ、疎外感をあおるヒソヒソ話。

別の島の人にあることないこと言う。などなど。

基本的に“陰険な中二女子”の思考だな。

もういい年したおっさんなのに。

書いててバカバカしくなってきたわ。

これが怖いと感じるとすると、

そんな態度をとられているオソバさんを見られるのが嫌なんだろう。

結局、他人の目を気にしている。

ということだ。

 

ここへきて、何度となく、

「なぜこんなところに来てしまったんだ!!」

と嘆いたけど、

「この他人の目をスルー出来るようになる為です。」

と自分で答えることにしている。

 

理由があると、あ、そうだったねって思って

少し落ち着く。

 

自分にこだわりがあると、身動きとれなくなっちゃう。

これが自分だから、こうでない自分じゃいけないって思うと、

身動きとれなくなっちゃう。

自分で決めた自分を生きることが自分になることじゃないんだって。

気づいたらこうだった自分が自分なんだって。

ていうのが、

『自分にこだわりをなくせば、自分になれるだろう』なんだと思う。

 

どんな自分だって自分だ。

恥ずかしい自分も、優しい自分も、強い自分も、弱い自分も。

1つじゃないから、たくさんあるから。

だから落ち込んでも、

いいところを持ってることを思い出して。

ない。なんてことはない。と思う。

冷たくされて、悲しいと思う人なら、

きっと他人に冷たくして喜んだりしない。

ということは、優しいところを持ってるってこと。

冷たくされて悲しかった。だから仕返しをした。

っていう場合も

悲しかったんだよ、冷たくされて。

優しい心をふみにじられた気がして堪えられなかったんだよきっと。

その相手には優しくできなくても、

きっと他のなんの敵意も持たない相手には優しくできるでしょう。

それを一緒くたにして

自分は思いやりのない、優しくない人間だと思わないでほしい。

心は細かく分かれて伸びてる。

1つの心の要素はものすごくたくさんある。

1つにまとめてダメなものだと言い切らないでほしい。

絶対はないけど

いいところも

あるって。

 

 

 

 

人の心をコントロール

長いこと短期の派遣社員をやっていたので

色々な会社に行ったけれども、

ここは、

かなり低俗な人が多いように思う。

 

正社員と派遣社員は、同じ人間だと思う。

実際、同じような形をしている。

たぶん人間同士。

 

少なくとも前回の派遣先では同じ人間として扱ってくれていた。

いや、別に人間扱いされていないと言いたいわけじゃないんだけれど

この会社って、聞いてなかったけどカースト制度あるの?

という疑問が、何度となくアタマに浮かぶ。

なんなんだろうかこの態度は。

という腑に落ちないモヤモヤがそこかしこにある。

ということは、あるんだろう。

 

しかし、私ももう43歳。キレたりしない。や、できない。

なので、ほとんど怒りをあらわにすることもなく、

かといって仲良くしたいとも思えない。

柔和なこけしヅラでただ仕事をこなしていると

「こいつはコントロールできる」

と思われるのかもしれない。

ただ我慢して受け流しながら、

ある意味やさしさで怒りを表さないようにしてるけど。

『優しい』と『弱い』は、似て見えるようだ。

『優しい』ってなんだろう。

なりたいのは『強くて優しい人』

『弱いから優しくする人』にはなりたくない。

 ↑これだと流されたり飲み込まれたりしていいように利用されそう。

だめだ。これはだめだ!

『強くて優しい』の方にする。

 

威圧してみたり、なれなれしくしてみたり、また冷たくしてみたり。

そうやって人の心が揺れるのを利用すると思い通りになると思っている、

低俗な指揮命令者34歳。

これで3人の子持ち。

人の親か。

世も末だな。

大人のいじめ。大人の不在。

大人がいない。

だからいじめがなくならない。

私がいる島(部)には性格が悪い人が揃っている。

みんなそれぞれに自分より他の人の方が性格悪いと思っている。

なんでそう言えるかというと、

ぐるぐるとペアを変えて、ひそひそとそう言っているから。

陰で悪口。

スピリチュアルを仕事にしているお金持ちのおばはん(同年代)が

「陰口言っててもいいの。それで楽しいんだもんその人たちは。

そこに入りたくなくて、“なんで陰口言うんだろう”とか、

“陰口やめなさいよ。”と、言う人の方が間違っている。

陰口が嫌ならそこに入らなきゃいいそこにいなければいいの。」

と言っていた。

そうなのかもね。

でもね、

契約してるから離れられないし

実際に傷ついてる人がいる。

傷つけた人は、傷つけてどう思ってるんだろう。

わかんないけど、気持ちいいのかな?

嫌いな人が相手なら、傷ついてるとこ見るのは気持ちいいのかな。

家族殺されたとか、そんな振り切れるほどのこともないのに。

やっぱり違うと思いたい。

大人ってもっと大人だと思いたい。

大人はもっと優しくできるはずだ。

と、思いたいのは

優しくされたいからか。

あーサイコパスになりたい。

モラハラ

モラハラ

いじめと同じかな?

同じだな。

 

本人と周囲の人間に、

わかりやすいように、

態度を変える。

 

具体的には

呼び方を変える。

昨日までオソバちゃんだったのが

今日からオソバさんになる。

 

ひと周りして、

オソバちゃんにもどったとしても、

気に入らないことが起こるとオソバさんになる。

 

これ、やってる人は

胸がスッとしたりするのかしら。

 

どうなの?

 

クズなの?

プログラミングをはじめてみてる。

気が付けば、年を越して、恵方巻まで越えていた。

今までもおいしいから海鮮恵方巻

その年の決まった方角を向いて黙って食べてたけど

今年は目をつぶって食べるって初めて知った。

今まで目を開けて食べてたからなんだか悔しい気持ちになった。

そして、お醤油を目を瞑ってつけるのに少々苦労した。

事前のイメトレで上手につけられておいしかった。

総じて、よかった。

さて、プログラミング。

80歳のおねえさんもはつらつとプログラミングしてるっていうし

やってみよう。

思い起こせば、昔ホームページを作りたくて

HTMLとCSSをかじり、

どうせならAdobephotoshopillustratorも欲しい。

と、Dreamweaverもついてるやつをえいやーと購入し、

一応分厚い本で練習したら、

Dreamweaverは本の通りにだけ作れたけれど応用きかず。

HTMLとCSSはすっかり忘れ、すっかり興味もなくなった今、

プログラミングって色々でホームページ作るのもプログラミングの一部なのねと

知った。

・・・あってる?

とりあえずそんなわけで、今HTMLとCSSを改めてお勉強。

ドットインストールとprogateで迷って、

迷ってる時間ば無駄だということで一応両方無料体験をしたあと

やっぱりどっちがいいのかわからず、

無駄な時間が伸びるだけなので

どちらにしようかな、神様の言う通り。で決めた。

課金。月額980円。

少し、楽しい。

 

 

ギターを捨て、ウクレレを得る。

随分と前からミニマリストにあこがれている。

前の職場では、朝から晩までやることがなく、

就業時間になると、割れるように頭が痛かった。

なぜか。

やることはないが、寝ても良いとは、誰も言ってくれないから。

眠気に堪える為に体のどこをどう使っていたのかわからないけれど

脳が頑張ってどうにかしてくれていたのと思う。

しかし私の脳の性能の悪さか

間違った使い方で頭痛を引き起こしてくれていた。

駅までの道すがら、歩く振動で割れるような頭でくらくら歩いた。

のを思い出す。

なんの話だったか忘れかけた。

そう、そんな時に眠らないために何か興味が持てることを探した。

眠ると目立つ。

パソコンを高速で打っていても目立つ。

ブログを検索して読むくらいが程よい。

ということに気付いてからミニマリストのブログを読み漁った。

それをさかのぼるとこんまりさんの本を読んで

色々手放した。売ったり捨てたり、あげたり捨てたりだ。

なのに、やっぱりあんなにはスッキリとさせられない。

きっと、お金持ちではなくても、安定した収入がある人間しか

あんなに思い切った捨て方はできないんだわ。

よく言うじゃない。貧乏人ほど持ち物が多いって。

だから、なるほどねー。とある程度納得して暮らしていた。

というか、いる。

 

それでも部屋のもの全部なくしたい!

というと、古いけど綿矢りさのインストールを思い出す。

主人公の女子高生が部屋にあったものを全部ゴミ捨て場に捨てるところを。

あれ見て思ったのは、

貴様が自分の力で稼いだお金で買ったものなど何もないだろうに

なんと罰当たりなことか!!!

だ。

あのゴミ捨て場で寝転がってるところの描写、今、覚えてるわ。

っていうことが、綿矢りさのすごい所なのかもしれない。

と話しが別の方向に行こうとしているところすみませんが戻しますよ私の脳みそ。

 

だから、みんな片付けてしまいたい。

という思いは引いた分押し寄せてくる。

なので、たまにスイッチが入る。

ターゲットはギター。

15年以上所有していただけのギターを

弾けるようになりたくてお教室に月に1回1年くらい通って、

最初の4か月で1曲簡単なのを弾けるようになって

弾きたかったので教えてもらったムズイ目の曲を6か月ほどレッスンしたところで

曲を変えませんか?

と、特に理由も言わずに言われ、

はて。月1回で前回教えてもらった新しいところは何とか弾けるようにして

次のレッスンに臨んでいたはずなのに。え?どうして?

先生に聞いてみたけど、なんだかモゴモゴ言っていたのと

まだギターをやめる気もなかったのでもう少し簡単なやつを収得してから

また弾きたかった曲に戻ればいいやー。

と思って了承してから2回通ったけど、やる気がなくなってきて、

ちょっと休むことにした。

休んでいる間に、前に使っていた中古のMorrisのはでかかったので

近所にできたばかりの大黒屋にすかさず持って行き、2000円で売った。

さ、お部屋が少し広くなった。

のもつかの間、私は別にギターを辞めたのではないの。

小柄な私にピッタリのギターを探しましょう。

と、ただの物欲に必然性を醸し出して毎日ネットで検索し、

小柄なMorrisのカッタウェイ使用の中古を手に入れてしまった。

しまった。せっかく面積が増えたのに。

いやまて、前のギターより、ギターが小柄になっている。

だからいいじゃん。

いいじゃん。

良くなかった。

結局やめてから一年の間、たまーに教えてもらったことを復習してたけど

なかなかギター教室に復帰できず、

そうこうしているうちに先生が田舎に帰った。

ま、先生は別の先生でも全然よかったし、

むしろ変えやすくなって良かったとすら思っていた。

そしてまた、

このかわいいギターを全く活用してあげられていないことに

そして面積を占めていることに疑問を抱き続けることになった。

でも、待って、そろそろギター習う気持ちになってきたんじゃない?

と、自分を奮い立たせてウキウキしてきた。

ような気がして、また習いに行く前にギターの弦を張り替えようと

youtubeでギター弦の張り替え方を復習してから作業に取り掛かる。

12345弦まで順調に張った。

6本目が、切れた。

そして翌日、近所にあった大黒屋がつぶれていたので、

3駅離れた中古ギター買取のお店に駆け込み、5000円で売った。

運命という名の私のお片付けの波に翻弄されたあのギター。

今度こそ素敵な音楽を奏でてくれ。

ナームー。

 

というわけで、ギターに関するものを全て売りさばいた。

捨てるのは忍びないので安いお値段でストラップとかスタンドとかカポとか。

結果、大して面積は広がらなかった。

それなのに、

物欲がまた・・・

ギターが大柄なものから小柄なものに変わったように

ギターからウクレレに心惹かれるのは人情というものなのね。

 

ってことで、ウクレレを習おうと決意。

だからウクレレは買ってよいのだ。

あの小柄なギターよりも占める面積は狭い。

 

そんな決意のもと、

ウクレレのことを調べたり、

ウクレレのレビューを見たり

デジマートやJギターといったサイトを見まくった挙句、

初心者セットの購入に至った。

 

今はただ嬉しい。

だが、面積は中々広がらない。