Osoba、おもんぱかる。

孤独とコミュ症。認めたろ。そして何とかしてみたろ。

自分にこだわりをなくせば、自分になれるだろう。

態度を変えることによって

周りにオソバさんはだめな人だから

私はこのような態度をとっている。

これが、オソバさんに対する正当な評価である。

と、皆に知らしめたいのでしょう。か。ね。たぶん。

傷つくわー。傷ついたわ私。ということに気付いている。

悲しい。とても悲しい。と、思っていることに気付いている。

明日も明後日も、

大っ嫌いなオソバさんを広報してくれるのかしら。

迷惑だわー。

これで、どうしよう、ドキドキする。

と思うのは、周りの目を気にしているから。

周りの人たちに、「あ、あの人〇〇さんに無茶苦茶嫌われてるね。」

という共通の認識が散布されて植え付けられ、

その影響が私に直接降りかかるのが怖い。

具体的には、

(ここの人たちは誰か嫌いな人ができると結託する習性があるので)

まぁ、普通に仲間外れ、疎外感をあおるヒソヒソ話。

別の島の人にあることないこと言う。などなど。

基本的に“陰険な中二女子”の思考だな。

もういい年したおっさんなのに。

書いててバカバカしくなってきたわ。

これが怖いと感じるとすると、

そんな態度をとられているオソバさんを見られるのが嫌なんだろう。

結局、他人の目を気にしている。

ということだ。

 

ここへきて、何度となく、

「なぜこんなところに来てしまったんだ!!」

と嘆いたけど、

「この他人の目をスルー出来るようになる為です。」

と自分で答えることにしている。

 

理由があると、あ、そうだったねって思って

少し落ち着く。

 

自分にこだわりがあると、身動きとれなくなっちゃう。

これが自分だから、こうでない自分じゃいけないって思うと、

身動きとれなくなっちゃう。

自分で決めた自分を生きることが自分になることじゃないんだって。

気づいたらこうだった自分が自分なんだって。

ていうのが、

『自分にこだわりをなくせば、自分になれるだろう』なんだと思う。

 

どんな自分だって自分だ。

恥ずかしい自分も、優しい自分も、強い自分も、弱い自分も。

1つじゃないから、たくさんあるから。

だから落ち込んでも、

いいところを持ってることを思い出して。

ない。なんてことはない。と思う。

冷たくされて、悲しいと思う人なら、

きっと他人に冷たくして喜んだりしない。

ということは、優しいところを持ってるってこと。

冷たくされて悲しかった。だから仕返しをした。

っていう場合も

悲しかったんだよ、冷たくされて。

優しい心をふみにじられた気がして堪えられなかったんだよきっと。

その相手には優しくできなくても、

きっと他のなんの敵意も持たない相手には優しくできるでしょう。

それを一緒くたにして

自分は思いやりのない、優しくない人間だと思わないでほしい。

心は細かく分かれて伸びてる。

1つの心の要素はものすごくたくさんある。

1つにまとめてダメなものだと言い切らないでほしい。

絶対はないけど

いいところも

あるって。